「そんな遠くに行くわけじゃないじゃん」

私には、もう二度と会えない友達がいる。

彼女は、家族ぐるみでお付き合いをした最初のママ友。

ムスメが3歳になるころ、また引っ越しをして、

カトリックの幼稚園に入った。

「名前の最初の文字が一緒だね!」というムスメの言葉で、

以後ムスメの大親友となったAちゃんがいた。

ムスメとは全然性格が違う、とっても可愛い女の子で、

でもなぜか二人はぴったりはまったバズルのピースみたいだった。

私は、これまでの引っ越しで、いろいろ痛い目にも会ってきたので、

最初から地元の人達の中に入っていくことができなかった。

幼稚園のママさん達とも、どう接してよいのか分からずにいた。

カトリックだし、みんな意識高い系の、私の苦手な雰囲気だと思っていた。

そのうち、Aちゃんのお家が我が家の本当にすぐ近くだと知る。

Aちゃんママは、私の同級生だと知る。

だんだん、お互いの家を行き来したりして親しくなった。

そのうちに、他のママさん達とも、自然に楽しくおしゃべり出来るようになっていた。

みんな意識は高いけど、私が苦手な雰囲気なんかじゃ全然なかった。

素敵な人ばっかりだった。

Aちゃんママは、ムスメが発達障害であることを最初に伝えた人でもある。

「ムスメちゃんってほんといっつも面白いよな。」

という彼女に、

『発達障害なんやって』

というと、彼女は少しびっくりしたが、

「ま、わたしやAにはあんまり関係ないかな。だって今のムスメちゃん大好きやし。」

と言ってくれた。

その時、心の底から嬉しかった。

その言葉が、作った言葉でないことが良く分かったから。

それで、言うべきか悩んでいたけど、他の人達にもムスメのことを話すことができた。

私が話した人は、みんな、笑って受け入れてくれた。

ムスメの特性を、よく理解してくれるママ友もいた。

その後私達はほぼ同時に妊娠し、一週間違いで出産し、

第二子のSちゃんとうちのムスコは双子のように、しょっちゅう一緒に過ごしていた。

いっつもムスコが泣かされていたが、本当に微笑ましく、

我が家とAちゃんの家とのきずなもより深くなった。

3年たって、また私達は引っ越しをすることになった。

ムスメも、大好きな街を離れることになり、

私もこの引っ越しで初めて、「寂しい」と感じた。

それを、見送りに来てくれたAちゃんママに伝えると、

「なにゆっとん。そんな遠くに行くわけじゃないやん。遊びに行くし、来るやろ?」

と、にっと笑って言ってくれた。

そしてその言葉通り、私も遊びに行ったし、彼女も来てくれた。

秋のお祭り。

小さい町は屋台を中心に威勢のいい声が飛び交い、にぎわう。

我が家も、できる限りその町の秋祭りを見に行くようにしていて、

一昨年は久々に旦那も屋台を担いだ。

その年は、私の友達たちは役回りで忙しく、会えないかもなと思っていたが、

向こうが私を見つけ、走ってきてくれた。

「も~、どこにいるんよ~。」

嬉しかった。単純に。

そしてたわいもない話をして、友達はまたすぐ役に戻った。

最後に、当時の我が家と、彼女の家へと道が分かれる場所で、

当時と同じように、

「ほなまた、連絡してな。」

と彼女が言って別れた。

当時と同じ別れ方だったが、

それは、彼女にとっても当たり前に「次がある」ことを意味しているので嬉しかった。

実際転勤族だと、「絶対また会おうね。」と言いながら、会えない人の方が多いんだ。

だからこの時、またすぐ会えると思って疑わなかったんだ。

そのすぐ後だった。

Aちゃんママが大けがをして入院したと聞いた。

共通の友達Nちゃんママから「背骨を折った」と聞いたので、びっくりして、心配で、

リハビリが大変だろうな、とか、もしかして車椅子になるのかな、とか、その間子供達はとか

いろんなことを考えた。

教えてくれたNちゃんママと、少し落ち着いたらお見舞いに行こうと約束をした。

一か月ほどたって、Nちゃんママが、「お見舞いに行きたい」とAちゃんパパ(ご主人も友達)に打診したが、

「今はまだ落ち着かなくて」と言われた。

「残念だけど仕方ないね。次のチャンスを待とう。」と話した。

そして、「焦らずしっかり治してね。返信無用」と、AちゃんママにLINEをした。

そして年が明け、私は当時小学校のPTAの本部役員をしており、大きなイベントの準備でばたばたしていた。

そんなとき、NちゃんママからのLINEが届き、内容を読んで、混乱した。

(緩和病棟にいるんだって)

え?どういうこと?

私は会議中だったのに大声を出し、同じ本部役員の看護師の友達に、

『ねぇ、怪我で緩和病棟って行く?』

と聞いた。

「いや~、普通は癌とか、末期の場合だよね。」

だよね。そうだよね。

じゃあどうゆうこと??

背骨が折れたんじゃなかったの?

私は、しばらくパニックだった。

帰宅してから詳細を聞くと、恐れていた通り、Aちゃんママの入院は怪我ではなかった。

最後に会った10月の秋祭りの時には、もう全身に癌が転移してどうしようもない状態だったんだ。

なのに、普通通り笑って、走って、子供達の世話を焼いて、

「腰が痛くて」って言ってたけど、もともと腰痛持ちだったから、

私は全く、全く何にも気付かなかった。

翌月11月末、痛みで動けなくなった彼女は、ようやく病院へ行き、即入院となったと。

12月に専門医に移り、「後一か月」と言われたと。

彼女の我慢強さが、こんな裏目に出るなんて。

何にも気づかなかった自分を呪いたかった。

緩和病棟にいると聞いてからほんの数日、彼女は亡くなった。

その日の朝、イベント前日の準備で大忙しだった私は、何度か不思議な体験をした。

探していたものがテーブルの上に置いてあったり、呼んでもないのにエレベーターが来たり。

でも、虫の知らせとかだったら嫌だったので、考えないようにした。

そしたらその日、Nちゃんママから

「亡くなったよ。」

と連絡をもらった。

私はどんくさくて、ムスメの幼稚園のイベントの時にも、時間まで本当にばったばたで。

いつもAちゃんママが、少し早く家に来ては、ムスメの髪を結んでくれたり、ムスコの着替えをしてくれたり。

この日も私は遅れそうでばったばたで、

もしかして彼女はなんとなく私に挨拶に来て、「またやってる」といつもみたいに手伝ってくれたのかな。

きっと、そうだったんだ。やっぱり。

私は、そう思うことにした。

めちゃくちゃ悲しいけど、最後に私に会いに来てくれたと思ったら、少しだけ嬉しかったから。

でもさ、Aちゃんママよ、

「そんなに遠くに行くわけじゃないやん」って、自分が言ったくせに、

もうどうやっても届かないところへ行ってしまったじゃない。

年末できなかった女子会のリベンジどうするのさ。

ねぇ。

まだ一番下は2歳じゃない。

私はいろんなことをぼやきながら泣いた。

今は近くに住んでいないので、一年半たった今も、私はちっとも実感がわかない。

去年の夏にご仏前にご挨拶に行かせていただいたけど、

『子供達もみんないるのに、なんで彼女だけいないんだろう』って、思ったりした。

そこに写真が飾られていたけれど、たぶん受け入れたくなかった。

Aちゃんパパが、

「年末にLINEくれとったやろ?あの頃もうまともに打てる状態じゃなくてな。」

「でも亡くなってからスマホ見たら、(私に)返事を書いてる途中の画面やってん。」

「文章おかしいし、何度も打ち直して、結局そのままやったんや。」

それを聞いて、私は耐えられなかった。

そんな中でも、私の事を考えてくれていたんだ。

痛みと苦しみと不安の中で、彼女が一生懸命私に何を伝えようとしてくれたのか。

彼女に会いたい。

彼女に会いたい。

会って、いっぱいありがとうって伝えたい。

でもできない。もうできないんだ。

私はまだ彼女の死を受け入れられていない。

多分。

思い出しては、涙が止まらない。

誰かが亡くなって、会えなくなるって、こういう事なんだよね。

なんせ早すぎたよ。

あっと言う間に、気付かないうちに行っちゃって、

最後に話くらいしたかったよ。

いや、一番いろんなことしたかったのは彼女だよね。

あの日の朝、来てくれてありがとう。

私はこれからも、もちろんAちゃん家族との交流は続いていくし、

何もできないけど、子供達と、ものすごく落ち込んでるパパを、見守るからね。

また会いに行くよ。

写真に文句たれてやる(笑)

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