父に会いに行く

私の父は、怒ると怖いけれど真面目で、野球が大好き。

母は、頭が良く、理系脳だが、基本何でもできてしまう人だ。

だが母は、生まれつき難病と障害を抱えている。

なので、生活は基本車いすで、調子が悪いと酸素をつけていなければならなかったりする。

父は、定年して、度々母が調子を崩したことが重なって、ひどく不安を感じるようになり、そこから少しずつ認知が始まってしまった。

私も兄も県外にいるので、車いすの母が少し心もとない父の世話をしている状態だった。

このままでは危険だとずっと忠告してきたけれど、母は、兄にお世話になるつもりでいるので、私のいう事を全く聞かなかった。

その兄は、スーパーマイペースなので、「何かあればその時考える」と言うばかりだった。

正直、何かあったらどうするんだと、両方にイライラしていた。

昨年後半から、母はますます度々体調を崩していた。

正月には、救急車で担ぎ込まれて、そのまま入院となった。

問題は、父だ。

ちゃんとしているつもりで、そうじゃない。

実際、ご飯を全く食べなかったりして体調を崩したりした。

それではよろしくないので、嫌がる父をなんとか説得して、ショートステイにお世話になる事に。

母の入院は長引き、その分父の不安は増していき、ステイ先でも幻覚や幻聴に悩まされることになった。

母の退院の目処がようやくたちそうだったとき、事故は起きた。

父が、ステイ先で転倒し、頚椎を痛めたのだ。

野球が好きで、ずっとピッチャーだった父が、急に寝たきりになってしまった。

母は病院に無理を言って退院し、また父の世話で病院を行ったり来たりすることに。

そのうち、コロナで面会謝絶となり、私達が会えないのはもちろん、頼りの母も会いに行けず、父は独りぼっちになってしまった。

病院の方々は、とてもよくしてくださったようだ。

始めは、もう座る事も出来ないと言われたのに、リハビリを頑張って、車いすに座れるようになったと聞いた。

『じーちゃん頑張ってるね、早く会いに行けるといいね。』

と子供達と話し、何度か、テレビ電話で顔を見せてもらった。

でもどうしても、一日のほとんどを寝ていることしかできないので、認知はどんどん進んでいる。

逆に、こんな言い方は悲しいが、父の世話をできなくなった母自身の体調は、ずいぶん良くなった。

そして、父は、転院することになった。

病院が配慮してくれ、移動の合間にちょっとだけ面会が許された。

母は、叔母と行くと言っていた。

コロナがまた少しずつ勢力を盛り返し、一体いつになったら父に会えるのか分からなかったので、私も子供達を連れて行きたかったが、平日、何より感染の多い地区からの面会は難しいと言われてしまった。

ところが、転院の3日前、母から連絡があった。

「お父さん、ガンだって。今の体力では、詳しい検査も治療もできないんだって。」

え?じゃあ、放置なの?

「うん、何もできないって。先生の見立てでは、進行の速いものみたいで、長くないみたい。」

『ていうことは、このままコロナで面会謝絶が続いたら、、』

「もう会えないかもしれないよ。」

なんだよそれー!

なんだよー!

母は癌家系だしすでに経験者だけどさ、まさか父がそんなことになるなんて。

最悪、もう二度と会えない、、、。

私は初めて、コロナが憎いと思った。

けれど、私達の健康に問題がないことで、病院側が転院時の面会、私達も参加しても良いと言ってくれた。

私は悩んだ。

でも、どうしても、分かるうちに父に会いたかったし、子供達を会せておきたかった。

もしこの先面会が解除されても、そのころには認知の進行やモルヒネで、もう私達が分からないかもしれないのだ。

結局、テスト期間だったムスメを置いて、ムスコだけ連れてとんぼ返りの帰省をした。

その日、病院の救急出入り口の傍で、随分長いこと待った。

母と兄は、病室で準備や、先生からの話を聞いていた。

しばらくして叔母が来て、私達を見て喜んでくれたが、

どうして弟の方が先にこんなことになったのかと泣いていた。

ムスコには、「コロナでいつ会えるか分からないから」とだけ伝えていた。

あと、随分痩せて、ムスコの知っているじーちゃんではなくなっているよ、と。

そして、父が、車いすに座り支えられながらやってきた。

自分の姉を見て、涙を浮かべたが、一様に表情が硬かった。

けれど、私とムスコの横を通り過ぎた時、こちらに気付いて笑ったように見えた。

幸い、移動用の介護車に私達も乗せてもらえることになり、移動中、たわいもない話をした。

運転が好きだった父に、『今○○だよ』というと、

父は「そげか、○○か」と言って、一生懸命外を見ていた。

ただ、私の名前も言わないし、ムスコの名前も言わないし、相変わらず表情が硬く、どこまで分かっているのかは分からなかった。

でも、必死に、しょうもない話をし続けた。

ムスコは、じーちゃんの痩せっぷりにショックで固まって、黙り込んでいた。

転院先に到着すると、そこでも少し時間をとってもらえた。

父はもう疲れて、座った状態で体を支えられなくなってきていて、

看護師さんが「そろそろ行かなきゃね。もう大丈夫ですか?ここからは、完全に面会謝絶になります。」と言われた。

母が、「またコロナが良くなったら、会いに来るけんね。大丈夫だけんね。」

と言うと、父は「うんうん」と首を動かした。

私も、『なかなか来れんけど、またテレビ電話してよ。』

と言うと、父は首を縦に振った。

「じゃあ、行きますね。」と看護師さんが車椅子を押し始めた時、父が

「○○(ムスコの名前)!」とムスコを見て、

「頑張れよ。」と言った。

私は急いでムスコに『じーちゃんの手を取って。ずっと会いたかったんだよね?』というと、

父は泣き出し、ムスコはじーちゃんの手を取り、その手に突っ伏してわんわん泣いた。

そして、父は行ってしまった。

ムスコが何故泣いたのか、

あんまりじーちゃんが痩せてるから、俺のお肉をちぎって分けてあげたかった、と。

その後、兄と母が転院の手続きをしている間、私とムスコは個室に案内されたので、そこで、父の事を全て話した。

するとムスコは、しばらく固まった後、

「なんで教えてくれなかったの!もうあれが最後かもしれないってことでしょ!!」

と怒った。

ムスコがパニックを起こさないよう、癌の事を知らないじーちゃんにまだ分からないよう、会った後にちゃんと言おうと思っていた。

と話すと、納得はしてくれたが、

「なんでママは泣かないの?自分のお父さんでしょ!」

とまた怒ってきた。

『ママだって悲しいんだよ。これが最後なんて嫌だよ。でも、大人はね、泣いてはいけないときもあるのよ。わかるよね?』

すると、

「じゃあ今はいいじゃん。ママと俺しかいないんだから。」

と言って、「ママ頑張ったんだね。」と、頭を撫でてくれた。

おかげで私も、少し泣くことができた。

これが最後にならず、『なんだ、また会えたじゃん』と言えるようになりたい。

できることなら、最後を看取りたい。

コロナに奪われたくない。

今、世界中で、そんな想いをしている人がたくさんたくさんいるんだ。

一人でも多くの人が、大切な人に会えますように。

1日も早く、コロナのワクチンや薬が開発されますように。

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父に会いに行く” に対して2件のコメントがあります。

  1. ume より:

    お見舞いに行けて良かったね。

    自分の事かと思ったよ。
    私のおじいちゃんも、癌で最後に会った時、
    同じ感じだった。
    で、教えてくれかった親たちに、同じセリフを言ったなぁ。。。

    でも、その先の、親の気持ちに寄り添う言葉は
    かけられなかった。
    ムスコくん、さすがだよ!!

    1. MGM より:

      そうだったんだ。
      辛いこと思い出させてしまってごめんね。
      悲しんで怒ってる小さいumeさんが頭に浮かびました。
      どうするのが正しかったのかは今でも分からないけど、
      父に会って、父の言葉を聞けたことは本当によかったと思う。
      ムスコも忘れないんじゃないかな?
      メチャクチャな子だけど、そういう優しさは大切にしてあげたいと思います。

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